右からしれっと通過するかと思いきや
突然直角に向きを変え本土に向かって暴れ散らかす
そんな台風後のmuuですドウモ
なんやねんそれっ
ありえる?そんな動き
パックマンかっ そのオールドな例え大丈夫?(/ω\)
おかしなことばかり起こる
おかしなことだらけの世の中ですが
そんなものにはめげずに私は今回も頭の中身の
アウトプットに励もうかと思います
己の頭の中の方がよっぽどおかしい説(/ω\)
今回は
なぜ心から楽しめないのか
ということについて うわ、もうめんどくさそう(/ω\)
休みの日も遊んでる時もダラダラしてる時も
心の底の底から本気で楽しむことができていない
そんな私のめんどくさい頭の中について
今回もタロットカードを交えてあーだこーだと
考察してみました
めんどくさいシリーズ第一弾と第二弾もよかったらどうぞ
第一弾
第二弾
めんどくさいシリーズ第三弾
それでは書いていきます
心の底から楽しめない
私には昔から本当に複雑な思考癖?
というものがありまして…
まぁ自分の思考が複雑やということに気づいたのも
わりと最近ではあるのですが
中でも一番変態要素が強いなと自分で感じていたのが
休みの時に(心底)休めない
楽しむ時に(心底)楽しめない
という癖
Sではなく完璧なMの癖ね(/ω\)
いや休んでるんですよ?
楽しんでるんですよ?
昼寝もするしおやつも食べるしダラダラもする
ドライブも行くし買い物にも行くし
メンバーであり仲間であるユミやひろとランチもする
本を読むのも好きだし
ネトフリで海外ドラマ見るのも好きだし
B’zの稲葉さんはもっと好き なんの話?(/ω\)
休みの時は休んでやりたいこと好きなことやってるはずなのに
自分の身体のどこかでずっと引っかかっている何か…
昔から抱えるこのザワザワするような
変な感じの矛盾のようなジレンマのような…
これが一体何なのか
もうそろそろこのザワザワと決着をつける時がきた
と思いたったので
タロットを一枚出してケジメをつけることになりました
渾身のタロット一枚引きです
それではさっそく
いくぞ、うりゃぁっ 大変ね(/ω\)
タロット13.死 Mr.骸骨の教え
今回そんなめんどくさい私に色々伝えてきてくれたのが
DEATH. 不吉な感じがピッタリね(/ω\)
「死」というその強烈なワードによって
タロットのこと知らないと一見ギョッとするカードではありますが
これは肉体の死を表すのではなく意図されているのは「頭」の死
そして頭といっても物質的な頭のことではなく
価値観や観念といった非物資的なものの死
つまり「考え方」「思考」の死 ヤダっますますピッタリ(/ω\)
人間が持つ恐れの永遠のテーマ
「死」
その「死」が鎧を着、馬にまたがり骸骨の姿でやってきた
「死」は生きているもの全てにやってくる
王だろうが平民だろうが
坊主だろうが教祖だろうが
健康だろうが病んでいようが
すべてに等しく訪れる
けれども人間にとって「死」とは
死んでみないとわからない
というまったくもって得体の知れないもの
人はそんな「わからない」というものに対して恐怖し恐れを抱く
オバケがコワい(/ω\)というのもこの心理
そして私達が生きるこの物質世界では
多くの人が「死」=「消滅」であると考える
なぜなら人は死ぬと物質である肉体は朽ち、消滅するから
「死後の世界」についてはいろんな考えがあり
いろんな場でいろんな議論がなされてはいるが
あれこれ考え議論したところで
物質世界に生きる物質である私達には結局のところ
「死」とはやはり死んでみないとわからないもの
人はそんな「わからない」というものに対して恐れを抱くわけなのですが
そんな得体が知れなくて怖いものである「死」というものに対して人々は
怖いがゆえに
抗う のです
カードに描かれている人物のように
ある者はなす術もなくぶっ倒れ
ある者は宗教という防具をまとって対峙する
またある者は受け入れつつも諦めきれずに顔を背け
拒否をする
このあらゆる方法で抗っているものというのが
自分自身ではあるということは間違いないが
もっと突っ込んで考えると実際のところは
自分の中のもう一人の自分である自我の部分
ということがわかる
自我の部分
つまりEGO(エゴ)
このEGOが死を恐れるあまり
ありとあらゆる方法で抗うのです
私が大好きなミナミAアシュタールさんのブログ
ミナミのライトらいとライフ~light,right,life~
この記事の中で書かれていたのですが
ぜひ読んでみてね!( ・∇・)
人類以外の生物は死を怖いものだと思っていません
とのことで
野生の動物の世界をよく弱肉強食の世界で表現されますが
そうではなくただ「循環」の中にいるのだ
ということでした
なので「循環」の中にいることが本能でわかっている彼らは
死を恐れてはいない
そしてこれは私の見解だけど
動物だけではなく本来は人間も
そういう循環というものをわかっているのだと思う
ただ文明の発達とそれによる自我の発達により
どんどん「本来の人間」というものから離れていってしまっただけのことで
違う視点からみると
自我が必要な世界になってしまった
ということなのかな…
逆にこの世界
自我がないと生きていけないんだろうな…
自分を守るための自我がないとこの世界ではきっと壊れてしまう…
話がどんどん脱線していきそうな気がするけど要するに
だから「死」を恐れているのは自分であって本当の自分ではなく
自分の中の
EGOが「消滅」を恐れている
ということになるということです
なので最初の方にこのカードを
”これは肉体の死を表すのではなく意図されているのは「頭」の死”
という説明をしたわけなのです
あ”ーーー
だんだんややこしくなってきたかぁ(/ω\)
みんなついてきてーー(/ω\)
で結局このMr.骸骨が何を言ってるのかというと
(EGOの)死を受け入れない限り新たな生はもたらされないよ
ということを言っているのです
多くの人はEGOの消滅を恐れ抗いますが
そのEGOという古い仮面を脱ぎ捨てない限り
死んで朽ちて土に戻って養分となり新しく生命が誕生するように
新しく変容した自分には出会えないしなれないよと
「循環」がおきないよと
Mr.はそうおっしゃっているのです
むっちゃくちゃ簡単に噛み砕いて言うと
死なんと生まれ変わらん
と言ってはるんです
この骸骨って関西のおっさんやったん?
そこにフォーカスを当てなくていい(/ω\)
関西出身かどうかは置いといて
このカードが作られた西洋の魔術結社【黄金の夜明け団】においては
この骸骨を「永遠の勝利」であると示唆しています
どういうことかというと
人は死んで肉体は朽ち、骸骨となっても
その骸骨も最終的には消滅するとはいえ
少なくとも永遠を仄めかすに充分なだけ存続するため
何万年も前の骸骨が今もあるもんね(/ω\)
よって「死」=「勝利」
いかにEGO(自我)を手放せるか
それこそが人生における「勝利」への道だ
ということなのでしょう
…ということで
これを読んでくれている方がいろんな面で
無事ついてきてくれているということを信じて
ほなこのMr.は私の中のどういった EGOの死を求めにきたん?
ということについて考えていきたいと思います
…が
長くなる予感しかしないので次回に続きます(/ω\)
* * * * *
ユミ・muu・ひろ
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